みなさん。
学習もいいですが、たまにはポテトチップス食べて TikTok でも見てゲラゲラ笑いましょう( ^ω^ )
私はめっちゃ嫌いでした。
ハッキリ言って、算数の授業が始まる前の10分休憩とか拷問でしかなかったです。
数学とかもってのほかです。
ここだけの話、私は数学の授業が嫌で中学校に行くのを途中からやめてしまいました。
え・・・?と思うかもしれませんが、本当の話ですヨ ^^
今でこそ笑い話のように語れますが、学生の頃は数学教師と話すのが怖くてとどのつまりグラフとか数字が夢に出てくるのです。
戦慄以外の何物でもない。もはやトラウマレベル。レベル違いすぎてレベチでしたね。
ああああああああああああああ (´・ω・`)
「因数分解」とかありますよね。
因数・・・?因数って何ですか?
って感じです。
当然ながら「一次方程式」も分かりません。
まず「素数」が分からない。
下手すると約数もパッとは出ないですね。最大公約数?とか無かったっけ。
数は桁が増えればいくらでもあるんだから最大とか言われても、無量大数か?って。
お笑いじゃないですよ(笑)
20歳前後に中学向けの数学教本を本屋さんで買った事があります。
その頃はまだ私がITエンジニアでは無かった頃です。
ですがあの時よく覚えているのは、嫌いなはずの数学の内容なのになんかちょっと理解できたんですよね。
旺文社の総合的研究?って書籍だったかな、確か・・・
好き嫌いってみんなそれぞれありますよ。
先天性の嫌い症は仕方ないと思う。
だが、食わず嫌いかもしれない可能性があるのも事実。
あの当時、数学の参考書を読んだ時「あれ・・・?」と違和感を覚えたのを今でも覚えています。
算数や数学は基礎知識がないとその後の数学的知識は全部分かりません。
全ての数学単元は延長線上に存在するものだからです。
もしかしたらワンチャン基礎知識知らないだけ毛嫌いしてただけなんじゃね?、と思いました。
まあ今でも数学勉強とかしたわけではないけどね(笑)
今思えば他の教科もテストで高得点が取れていたわけではなかったですね。
勉強自体が嫌いだった。
しかしそれには理由があるはずだ!と開き直って考えると一つの可能性に突き当たりました。
これだ!これ!と今気付いたところでどうなるんだ?という話なんですけど、こういった問題の糸口が見つかるのはとてもいい事なんだと私も思います。
まずは小学校の算数2年頃から始まる文章問題。
これをまず解けた覚えがない(^-^;
(あとどうでもいい話題だが、私は小学2年の終盤に脳の大病を患い一時心肺停止になった事がある。この時以降、なんか頭の回転が鈍くなったような気がするのだが気のせい?
病気のせいにするような事は言いたくないので「関係ない」事にしておくが、なんか思い出すたびに信ぴょう性あって気味悪いですね)
読解力がないという事は、国語か!
という事を思うワケです。
算数を極める前に国語だね、と。
それって結局文章の意味を分かってないから、物事が見えないんですよね。
例えば「今日の天気は晴れです」と言われて、太陽が見えて青空が見える、と想像します。
しかし空が曇っていたらどうでしょうか?
それは晴れではなく、曇りでしょう?と考えるのか、雨は降っていない、時折曇るだけで基本は晴れている、と考えるのか、という思考の違いが生まれる事があります。
物事を言われた事しか分からないのが読解力がない状態らしい。
「A君にスイカを3つ渡しました。A君は何個スイカを持っていますか?」という問題があると、
人間は両手しかないんだからスイカなんて3つも持てるか?と発展した考えができるかという事です。
早い話が、
これが読解力の源らしい。
要約力、語彙力は分かる。分かるよ、それは。
議題を集約して、そこに問題の根源を見出す事はできる。
語彙力なんてのも会話の美学です。ポエムみたいなの見るのは大好きマンです。
だが、洞察力ってどうだ?
これは意味が分からない。
なんだ、人の心を読めってか?そんな事できる奴どこにいる?
洞察力は普通の人間みんなあって当然?
ふざけるのも大概にしろよ ^^ ゴルァ
他の人間に心読まれて気持ちいいやついると思ってるのか?
まぁ若干適当に暴言吐いてみましたが、実際にはそんな理不尽な能力は問われる事はありません ^-^
正直、読解力を養うためには、色んな人たちと会話をして、客観的な立場にたって会話の内容を把握する事を繰り返す事で培う事ができると思ってます。
とは言われても、それは実践するのはなかなか難しいです。
そうなったら、「自分の考え方(人との接し方)は間違っている」と思い切った結論を出すのがいい場合があります。
随分とマイナス思考じゃないか?と。それはどういった意味かと言うと、自分が無意識のうちに考えている固定概念に問題がある可能性を考えるのです。
私の場合はその考えを探し出してみたところ、とんでもない事が浮かび上がってきました。
なんと私は、言われた事以外は必要ないもの、という固定概念を持っていました。
これは大変危険です。
まぁ色んなところで批判されまくってましたよ。
何かを持ってくるよう頼んでも、メインの物しか持ってこない、ネジ持ってきてと言ってもネジ一本しか持ってこないみたいな話。
ぶっちゃけ何も考えてないのでしょう。怠惰というか、サボタージュというか・・・。
言い換えれば「視野が狭い」「木を見て森を見ず」「優柔不断」などでしょう。
「頑迷固陋」なんて言葉もあるようです。
それは結局のところ世間知らずもあるのでしょうが、何よりも「好奇心がない」という事が根底としてあるのはないでしょうか。
私の事なので、分かってはいるんですけど、好奇心がない理由は突き詰めていくと「面倒な事には関わりたくない」というのが心の奥深くにあるようです。
まあ悪いように言うと「責任逃れ」ですね。
私も恥ずかしながら友達とか仲のいい知人みたいな人が数人しかいません。
それも結局は、色々自分の時間がなくなるのも嫌だし、会話をしていて聞きたくない下世話な話を聞いてもストレスが溜まるだけ、という事を考えているのでしょう。
いるのでしょうって自分の事なのに変ですが ^^;
何かを得ようとして動きたくないのが相極まって「知識がない人間」「異端児」「視野が狭い人間」として出来上がっている可能性があると思います。
結論的にどうしたいのか?という話なんですが、
自分の意思が前向きにならないと人間は何も出来ないただの泥人形と同じという事ですね。