題名のないファンタジー
序章 - 第1話(2/3)
< 悪夢の連鎖 >

ひどく疲れて足取りが重い。
急激に疲労が襲ってきて、少し立ち眩みもしている。朦朧(もうろう)とする意識の中、俺は自宅であるアパートに向かってふらふらと歩いてゆく。市街地から離れ住宅街へと差し掛かる中、降り注ぐ車のヘッドライトとテールライトが、俺の憂鬱な表情をしきりに映し出していた。

まただ…。またあの能力が呼び覚まされて…

さきほど感じたあの感覚。あれがこの俺の隠された秘密…。高橋(たかはし)直樹(なおき)という名前の男の正体。そう…俺は人智を超えた超能力を使う事があるのだ。
あの能力は使おうと思って使っているわけではない。俺はそれを無意識のうちに発してしまい、制御する術を持ち合わせていなかった。そして挙句の果てに…

直樹:
…っ!!

脳裏をよぎったのはさきほどの怯え切った少女の表情。不意に動悸がする。俺は彼女を助けたい一心だったはず。
それにあの男たちだって、怪我をさせたりしようとするつもりはなかった。それなのになぜ…?俺の心はひどくすさんでいた。

世の中つまらない正義感や助け合いの精神などの教えが広まっているが、あれは一体誰が言い始めたのだろうか。
正義感がなんだ…。それを振りかざしたところで救われる命があったとしても、肝心の助っ人が報われない正義など、そんなものは都合の良いようにすり替えられたただの欺瞞(ぎまん)だろう。
最初からマイナスの世界を生きている人間にとっては、その言葉は重荷になるだけ、苦痛なだけなのだ。

俺は今まで孤独という名の人生を歩んできた。友達もいなければ、家族と呼べる血縁もいない。心の温かみなど、そんなものは持ち合わせてなどいないのだ。だから助け合いの精神などという妄想には懲りてしまっていた。
それなのになぜさっき人助けをしたのだろう…?考えても分からなかった。

コンビニで用を済ませた俺は終始不機嫌な表情のまま、自宅へと向かった。行きつけのコンビニから住んでいるアパートまで2分という距離。すぐにアパートの入り口まで辿り着いた。
周辺はすっかり静寂に包まれている。時はもう真夜中か…。時間は確認しなかったが深夜になっているのは想像できた。渡り廊下を歩く音だけがアパートの外に響く。長い時間外にいたせいか、自宅のドアが少しだけ安堵の気配を帯びているようだった。
足早に部屋に入ると、俺はそのまま奥の部屋にあるベッドにうつ伏せに倒れ込む。ポストに入っていた郵便物を取る気力すらなかった。
今夜は横浜の素敵な夜景を眺めながら優雅な時間だけが過ぎ去っていくはずだったのに、何という有様だろうか…。
俺はそのまま意識が遠のいて、そのまま眠ってしまった。


気が付くと、夜中の3時だった。スマートフォンに映る時計は、「03:57」と表示されている。もう4時だ。
こんな時間に目が覚めた事はほとんどない。一体俺はどれだけ情緒不安定になっているのだろうか。
疲れていたせいなのか、嫌な記憶を思い出したせいなのか分からないが、夢を見ていた気がする。…子どもの頃の夢。正確には記憶か…。

………過去を思い出すと、それはダークサイドな人生だったと思う。
俺には親と呼べる存在がいない。だから子どもの頃の記憶と言っても、養護施設で育った記憶しかない。聞いた話によると俺は乳児の時に、公園で全くの赤の他人に拾われて保護された。それだけでも衝撃的な事実だが、そもそも人からそう言われてきただけで本当は誰かの隠し子として生まれ、そのまま遺棄されたのだと思っていた。だが、俺の親は本当に分からなかった。
存在しないわけはない。この世界のどこかにいる。そう分かっていても、拾われた事実だけは真実だった。それは俺が小学校6年の時…

女性:
あなたに伝えないといけない事があるわ。あなたの両親は既にこの世にいないかもしれない事、それとあなたが赤子の時に、私が公園の雑木林であなたを見つけたの。

養護施設でいじめの対象になっていた俺を引き取ると突然名乗り出た若い女性がいた。彼女の名は崎守(さきもり)凛子(りんこ)。当時の名はまだ小谷という姓だったか…。
彼女に近所のカフェテリアへ誘われ、俺は過去の事をその時に聞いた。中学生の頃、学校から帰る途中、公園の中で泣き叫ぶ赤ん坊だった俺を見つけたという。彼女は既に26歳で、すっかり大人になっていた。

拾い子は正確な名前や年齢、血液型、誕生日も分からない。俺は周りの子と違う世界で生きていた。直樹という名も行政が決めたものだ。そこに人間性や何かがあるかと言われたら、俺は孤独を貫く事でしか自分が生きる意味を果たせなかった。
何のために生まれてきたのか…、そう考えるたびに自らの進退を考えてしまう。中学生の頃に一度だけリストカットも経験した。

中学生から高校生の時期には凛子さんと同居して育ててもらった。その頃が一番人間として生きた心地がしていた時期だったかもしれない。
中学時代は友達がなかなかできない時期が続いていたが、高校時代の時はクラスメイトに恵まれ、友達と呼ばずとも会話が自然にできるような人たちが大勢できた。俺の中に人間の温もりを教えてくれたのは凛子さんだった。

そして俺が高校を卒業する少し前に、凛子さんは同じ歳の男性と入籍する事が決まる。この時に俺は都会へ単身移り住む事を決め、今いるこの街、横浜へとやってきた。
凛子さんは今でもたまに野菜や果物を持って俺の住むアパートまで来てくれていた。こうも血の繋がってない他人に対して世話をしてくれる人がいるのかと、俺の概念は覆った。

今思うと色々と考える事はある。人としてどうあるべきなのか。俺は誰かのためになっているのだろうか。俺がこの世界で果たすべき役割や責任があるとすれば、それは一体いつ…

俺はそんな昔を思い返すうちにまた深い眠りへと誘われていった。


次の日の朝。冷たい空気が辺りを包み込み、優しい光が寝室に降り注がれている。

直樹:
うわ!やばっ!

目が覚めた俺は時計を見て焦った。時計は既に9時を指し示していた。だが…

直樹:
…はぁ。土曜かよ。

目覚めが良いのか、悪いのか…。仕事が休みである事に気づいた俺はまたその場で眠ろうと考えてしまっていた。


カーテンを思いきり開けると空は少し雲が多くあったが、青空が見えていた。雲の隙間から覗く太陽を見て、俺は背伸びをする。
休みの日の朝には決まってする事があった。モーニング・ルーティーンというやつかな。
キッチンの棚から大きめのパウチを取り出して、コップに適量入れる。そこへ豆乳を混ぜ合わせて、シェイカーで振る。プロテインのような飲み物、これを一気に飲み干す。これが俺の休みの日の朝ごはんだ。
俺は手早く洗面で身なりを整え、ジャージのズボンにTシャツ姿で外へ。そのまま周辺の団地をランニングする。
今日は曇っていて少し風が冷たい。秋も深まり冬の気配がする11月の晩秋の朝。それでも俺はいつも走っているコースを駆け巡っていく。
1kmほど走って辿り着いたのは、団地内の一角にある神社。森の中に佇む境内が神秘的な空間を演出している。休みの日はいつもここへ来るのが日課になっていた。


自宅に戻り、汗をシャワーで洗い流す。シャワーの音が浴室に響き渡り、なんとも贅沢なひと時だ。
平日は一生懸命働き、休みの日は自分のあるがままの楽しみを堪能する。それこそがこれまでの波瀾万丈人生を経て、心得た一つの答えなのかもしれない。孤独な人生でも心豊かな楽しさを見出して生きる。それが高橋直樹という俺の思考だった。
昨日の嫌な出来事もシャワーと共に洗い流していくかのように、俺は打ち付ける水の嵐に身をゆだねた。

風呂から上がるとスマートフォンのランプが点滅している事に気が付く。それを手に取った瞬間、ピロンと通知音が鳴った。
チャットアプリの通知がたくさん付いている。どうせ何かのキャンペーン情報かと思っていたが、通知数が灯っていたプロフィール画は可愛らしい女性アニメキャラのイラストで名前の欄に「しずく」と書かれている。
俺はそのアイコンをタッチして内容を見ていくと、

「ナオキー?今日大学で文化祭やってるけどよかったらおいでよ~!」

「おいしいたこ焼きあるよ!」

「まだ寝てるの?ねぼすけ~!」

と言った感じで俺の反応待ちのような一方通行の会話になっていた。しまった…ランニングしている時は携帯電話を持っていかないからだな…。
俺は「例の場所に行く」とだけ返信して、外出する事にした。