11月某日、北米メキシコ、プエブラ。
日が落ち、通りゆく人々の姿も疎らになった大通りの一角に、突如大きな爆発音が鳴り響く。
建物の中から火の手が上がり、マーケットの建屋から多くの人たちが次々に走って出てくる。その奥には人間とはあまりにもかけ離れた醜い生物が徘徊している。するとまた隣の建物からも火の手が上がり始め、周辺一帯が瞬く間にパニックと化していく。
パトカーのサイレン音と医療班のサイレン音が街中に響く中、大勢の人が一斉に同じ方角へ向かって逃げていく様子が伺える。人々は徐々にその恐ろしき正体に気づき始めた。
それは人ではない何か…
到着した警官隊がその得体の知れない生物との銃撃戦を開始。街中はテロ現場と化し、緊張感が漂う危険な街へと姿を変える。
しかし、その謎のモンスターはその身がかなり大きく体長はゆうに5mを超える異形であった。全身が硬い鱗で覆われ、拳銃の弾丸は全くもって威力をなさなかった。
やがて街行く人や警官を次々に襲う。その間にも街の被害は広がっていった。誰も予想しなかった襲撃に人々は恐怖に怯え逃げ惑った。
その後このモンスターは駆け付けた軍隊によって迎撃され、遺体は回収されたのだった。
その事件が日本で報道されたのは一日経った後の朝のニュースだった。
俺は日曜日の朝のニュースで、メキシコで発生した謎の生物による一連の騒動の様子を見て戦慄する。
なぜ俺はその生物を昨晩眠っている最中夢で見たのか?ただの偶然?
リビングのソファーに座りその映像を眺めたまま、しばらく恐怖に駆られ動く事すらできなかった。こいつらは一体…。
俺はそのあまりにも現実離れした出来事に思考が追いつかないでいた。
その日の昼、俺は近くのスーパーまで買い出しに行っていた。すると、
「よぉ兄ちゃん。いいバイク乗ってるねぇ~。750(cc)テンペスト?」
直樹:
ええ。よくご存じで。
俺はスーパーの駐車場で見ず知らずの人に声を掛けられていた。実は普段からこういう事がたまにある。
飯田技研工業の大型バイク、TEMPEST(テンペスト)。俺は大型のバイクを所有していて、休日どこかへ出かける時はいつもそのバイクで移動していた。
風を受けて走るあの感覚が、俺の浮かない人生を満たしてくれる癒しの存在だった。
その後自宅に戻った時、目の前に見覚えのある車がやってきた。
車の運転席の窓が開きドライバーが俺の姿を見るやいなや手を振って、アパートのすぐ隣にある空き地の前に車を駐車した。ほどよくして降りてきたのはすらりとした大人の女性。
直樹:
凛子さん。こんにちは。
その女性は崎守凛子という女性だった。俺がまだ赤ん坊の頃に公園で孤児として見つけてくれた人で、学生時代の頃に親代わりとして俺を養ってくれた命の恩人だ。
凛子:
こんにちは。ナオちゃん久しぶりだね。ごめんね、最近来れてなくて。
直樹:
いや、そんな事は…。ぼちぼちやってるよ。
ナオちゃん、か…。それは昔から呼ばれてきた俺の愛称だった。
俺はにっこり微笑み返し凛子さんを自分の部屋に招き入れた。
凛子さんはちょくちょく俺の住むアパートを訪れ、その度に生活用品や食料品などを持ってきてくれていた。
俺の高校生活が終りを迎える頃、彼女はパートナーとの結婚を境に俺との同居をやめたが、その後も単身で暮らしているこの部屋へちょくちょく様子を伺ってくれていた。
リビングで世間話が盛り上がる俺たち。お互い遠慮する事なく親子のように話が弾んだ。
直樹:
そういえば颯聖君、元気に育ってる?
凛子:
うん、それはもう元気いっぱい。色々大変だけどね~
凛子さんには昨年子どもが生まれていた。崎守颯聖君。男の子だ。
直樹:
いい名前だね。
俺はそういうと少し羨ましそうに微笑んでみせた。
凛子さんは俺のこれまでのいきさつを知っていたので、その言葉の意図も分かっていた。
颯聖という名前は凛子さんと彼女の旦那さん2人で決めたらしい。一方の直樹という名は役場の人が付けたものであった。それは俺が捨て子であり、両親の消息が全くもって不明という深い事情があったからである。
凛子:
自分にはもっといい名前を付けてほしかった?
直樹:
いや…別に名前がどうこうというわけじゃなくて…
凛子:
本当のご両親にいてほしかったわよね。辛い気持ちはとても分かるわよ。
俺はその言葉の本当の意味に気が付いた。そう、俺は親の愛情というものを知らなかった。
俺は養護施設で幼少時代を過ごしたため、親の温もりなどは知る由もなかったのだ。
それが俺にとっては羨ましく、そして辛かった。
凛子:
ナオちゃんもこれから結婚して子どもができたらきっといい旦那さんになるわ。子どもの頃にあんなひどい事をされていい思いをするわけないもの。古傷を持っているからこそ、分かる事があると思うの。
自分を責めたりしないで。もっと色んな人と関わって、助け合って生きてほしいの。そうしたらきっとナオちゃんは幸せになれるから。
凛子さんの言葉が突き刺さる。同情しているわけではなく、紛れもなくその言葉は彼女の本音だった。
助け合って幸せになる…。その言葉の真意は、まだ俺にはよく分からなかった。
それからまたしばらくの間、直樹は悪夢にうなされる日々が続いた。来る日も来る日も…。
過去の養護施設で同じ境遇の子どもたちから受けた虐め、頼れる人がいない心の呻吟、そして得体の知れない異形の恐怖。それらどれもが直樹自身の生活を少しずつ蝕んでいた。
親がいない境遇は確かに辛いし、なぜ自分だけこんな不幸なのだろうと、悪い方向に考えてしまう。それでも結局、人生は自分自身で立ち向かっていく他ないのだ。その理屈は分かっていた。
だが、塞がれた心はなかなか己の意思を前向きに向けてくれない。
そしてまたあの異形による事件がニュースで報道される。なんと今度はメキシコから離れたアメリカ国内で見つかったというのだ。
「襲撃があったのは、アメリカのボストンに位置する日系人が多く住む場所でもあるブルックラインの住宅街で、日本人を含む、合わせて23人が死傷しているという事です」
キャスターが淡々と記事を読み上げる中、直樹はにわかに嫌な気配を感じ取っていた。
それは前回のプエブラが襲撃された際も日系人が被害にあったと聞いたような気がしていたからだった。
直樹は仕事から帰宅途中、市街地のビルに設置された巨大モニターに映るそのニュースを通りがかりに眺めていた。
そのニュースは全世界で報道され、人々の心の奥に僅かではあったが底知れぬ不安を植え付けていた。
アメリカ国内では様々な専門家がそのモンスターの遺体解剖などを進めていたが、手掛かりになるような生物は見つかっていなかった。
中には地球外生命体ではないかという憶測まで飛び出し、宇宙人による侵略戦争が始まる危険性があると警鐘を鳴らす専門家まで現れてしまっていた。
この魔物はメキシコのプエブラで最初に発生した事からThe Puebla Monster、「プエブラモンスター」と命名される事になる。
この正体不明の魔物はどこから現れたのか、それすら分からない未知の脅威として世界に衝撃を与えていた。